環境問題を説明するともいわれる「共有地の悲劇」。共有地の悲劇とはなにか?そして、その悲劇を起こさないためにはどうすればよいのか?を解説します。
共有地の悲劇(コモンズの悲劇)とは
共有地の悲劇、もしくはコモンズの悲劇という言葉は、ギャレット・ハーディンという学者が1968年に投稿した「Tragedy of the Commons」という論文で提唱されました。
簡単には、誰もが使える共有地をみんなが自分勝手に使った結果、結局みんなが損をしてしまうことを、共有地の悲劇(コモンズの悲劇)といいます。
今から50年以上も前の言葉!ということに驚くとともに、いまなお私たちの問題となり続けているのが共有地の悲劇といえるでしょう。
共有地の悲劇の具体例

ここからは、共有地の悲劇の具体例を見ていきます。
まずは、次の問題を考えてみてください。
ここに誰にも使われていない1つの牧場があります。
あなたはたまたまこの牧場を見つけて、ここで牛を飼うことにしました。
この牧場では、3頭までの牛を飼えるようです。
牛が3頭までなら、牛が食べる草の量と、新しく生えてくる草の量が同じです。
しかし、3頭より多くの牛がいると、牛が食べる草の量のほうが、新しく生えてくる草の量より多くなり、牧場は小さくなってしまいます。
牛を育てるのになにも労力はいりません。そして、牛は毎日おいしい牛乳を作ってくれます。
さて、あなたは何頭の牛を飼いますか??

賢明なあなたなら、牛を3頭飼うはずです。そうすれば、毎日おいしい牛乳を3頭分もらえますし、牧場も小さくなることがなくずっと牛乳をもらい続けられるからです。
では次に、こんな場合を考えてみてください。
あなたは先ほどの牧場を1人で使っていました。
すると、この牧場の噂を聞きつけたライバルがやってきて、あなたと同じように牧場で牛を飼い始めました。
この牧場はあなたのものではないので、追い出すことはできません。
ライバルは牛を3頭飼い始めました。さて、あなたは何頭の牛を飼いますか?

おや、どうも今回は勝手が違うようです。相手が3頭飼っているため、これ以上増やすと牧場の草がなくなってしまいます。牧場の草をなくさないためには、あなたは1頭も飼えません。
しかし、1頭も飼わなければ牛乳は全くもらえません。ライバルだけがおいしい思いをします。そこであなたは、全くもらえないことに比べれば、牧場の草がなくなっても牛を飼って少しでも牛乳をもらったほうが良いと考えました。そして、ライバルと同じ数の3頭をそのまま飼うことにしました。
すると、最初は3頭分の牛乳がもらえますが、だんだんと草が少なくなりついには牧場の草がなくなってしまいました。結局、あなたもライバルも、牛も飼えないし牛乳ももらうことができなくなりました。


このように、誰もが使える共有地をみんなが自分勝手に使った結果、結局みんなが損をしてしまうことを、共有地の悲劇(コモンズの悲劇)といいます。
共有地の悲劇が起こる4つの理由
共有地の悲劇には重要な前提があります。
- 共有地はみんなのもので、誰でも使える
- 共有地が役に立つ(価値がある)
- 共有地にも限界がある
先ほどの具体例で考えましょう。
みんなのもので、誰でも使えるから
1人で牛を飼っていた時は悲劇が起きませんでしたが、ライバルが現れてしまったために悲劇が起こってしまいました。ライバルを追い出せたら問題もなかったですが、共有地は「みんなのもの」なのでそれはできません。
逆に、自分の牧場であれば、相手を追い出すことができたのでこの問題は起きません。
役に立つ(価値がある)から
牧場を使うことで、おいしい牛乳が手に入ります。おいしい牛乳は自分にとってもうれしいですし、余っても売ることができます。
この価値ある牛乳をたくさん得たいからこそ、競いあって牛を飼うことにしました。つまり、共有地である牧場は役に立つものだったことがわかります。
逆に、価値がないもの(毒が入った牛乳しか作れない)や、たくさんはいらないもの(賞味期限が10秒!)であれば、競いあって共有地を使うこともないため、この悲劇はおきないでしょう。
限界があるから
牧場の草は、牛が3頭分までしか耐えられませんでした。たとえば、これが何頭でも問題ない草だったらどうでしょう。
牧場がみんなのものでも、牧場が役にたつものでも、永遠に枯れることがなければ悲劇は起きません。
実際に、「空気」などは、限界がないからこそ悲劇が起きない例です。綺麗か汚いかの話もありますが、少なくとも呼吸のための空気はなくなることはありません。
以上、ここまでが共有地の悲劇がおきる条件です。
そして、この条件にあてはまっているのが、「環境」ということになります。
環境問題と共有地の悲劇は、切っても切り離せない関係にあるのです。
私たちは、自分に最も得になるように行動するから
最後に、最も重要な理由です。
それは、私たち人間が、自分に最も得になるように行動をする。ということです。
最初から全体のためを考えて、牛を飼うのを半分半分にしていたら、もしくはとれた牛乳を相手にわけあたえるのが当たり前の世界だったら、こんな悲劇はおきないでしょう。
しかし、人間が合理的(自分に得になるよう)な判断をして行動をする。というのはもはやこの世界の大前提です。つまり、「人間だもの。」が最終的な理由なのです。
共有地の悲劇の対策
では、共有地の悲劇をなくすためにはどうしたらいいのでしょうか?それとも、人間だもの。だからなくならないのでしょうか?
ここでは、いくつかの対策例を見ていきます。
共有地を誰かに管理してもらう

「共有地はみんなのもので、誰でも使える」という部分をルールで変えてしまおうというのが最初の対策です。
たとえば、先ほどの牧場を、あなたに管理してもらうことにしました。ただ、それだけでは他の人が怒るので、毎日とれた牛乳の半分を渡すようにというルールが作られました。
そうすれば、あなたは牧場をなくさないように管理するでしょうし、みんなが幸せに牛乳をもらい続けられます。
ただ、問題となるのは、「ルールは誰が作るのか?」「取れた牛乳の半分でいいのか?」「嘘をつかれたら?」といった問題が残ることです。国などが管理しても起こっている現状をみると、まだまだ対策は必要そうです。
私たちの合理的な判断を変える
続いては、私たちの合理的な判断を変えてしまおうという対策です。
たとえば、先ほどのライバルが、自分の親友だったらどうでしょう。2人で仲良く牛乳を分けるのではないでしょうか。これは、自分1人の利益より、その人の利益や今後の友達関係を考えるからです。
そのほかにも、「周りから見られて恥ずかしい」気持ちや、「牧場をなくしたくない」思いなど、私たちの行動を変える判断基準ができれば、共有地の悲劇は起きなくなります。
昔から残る集落などで共有地の悲劇が起きていないのは、思いやりのある気持ちがあるからだとはよく言われます。しかし、国規模、地球規模となるとどうでしょう。私たち個人の合理的な判断には、国への影響、世界への影響はほとんど基準になっていないのが現状です。
まとめ
- 共有地の悲劇は、誰もが使える共有地をみんなが自分勝手に使った結果、結局みんなが損をしてしまうことを言います。
- 「誰でも使えるから」「役に立つから」「限界があるから」「人間だから」という4つの理由がそろったときに起きてしまう問題です。そして、環境問題がまさに当てはまっています。
- 悲劇を起こさないためには、ルールを作って管理したり、私たちの判断基準がを変える必要があります。
以上「共有地の悲劇」に関してまとめした。
これらの知識をもって、環境問題をもう一度見直してみてください。